1.大辞林第二版、広辞苑第五版、新明解第五版を見てみましたが、あまり参考にならんようですな。「とくらあ」は「と来らあ」であることは日本人には自明のことです。したがって辞書は「来る」で牽くのだけれど、これほどポピュラーな言い回しが用例に採られていないとは奇っ怪至極。とりあえず、↓の(13)をご覧下さい。これの仲間です。
http://dictionary.goo.ne.jp/search.php?MT=%CD%E8%A4%EB&kind=jn&mode=0&base=1&row=2
ただこれだと常に「来た」という形でばかり使うかのような誤解が生じかねませんが、新明解では「株式の話と来ると、てんで歯が立たない」という例を載せています。さすが新明解。この「来る」です。
「とくらあ」の「と」は自明(まあ念のために新明解の語釈を引けば「ある事物を提示してそれについて述べることを表す」格助詞です)として、「くら」もこれで大意は掴んでいただけたと思う。では尻尾の「あ」は何か?
「とくらあ」をキチンと発音するなら「とくるは」でしょう。「は」は副助詞の「は」、お馴染みのワと発音する奴です。そうならこの後には省略があるはずです。なにが省かれたと言えばそれは「どうか」もしくは「どうだ」もしくは「どうよ」です。問いかけているのです、聞き手に向けて。
今でもたまに銭湯で湯に漬かりながら、歌を歌う人がいます。そういう人が一節唸って、最後に「とくらあ」と言う、それが私にとっては陳腐なまでの典型例です。
どんな心持ちでもってそんなことを云うかと云うと、歌とか詩とか、そういうものに対してまず人は我を忘れて没入しますよね、とりあえず。あるいは逆に既定の表現として強い拘束があり、個人的変更はある程度禁じられて、云わば括弧に入ったようなもので普通の発話とは区別されます。
そういうものを朗々と舌頭に遊ばせて陶酔しようとする、で、それが終わったら我に帰る、周りも見えるようになる、だから、「と来たらどう思いますか、へぼですか、それとも結構いけてましたか」ときちんと云ったらそれこそ変なので、「とくるは」と言いさし、そこから「とくらあ」と崩れるのでしょう。遠慮と照れ隠しがいくぶんか入っている場合も多々あります。が、図々しい人はその限りにあらず。定型表現と云ってもいいでしょう。歌や詩や、あるいは決まりきった慣用句であることを示す標識として働くとも云えるかな。
2.「~、とくらあ」は、
「~と(いう結果が)来るのだ」の野卑な表現です。
『~という状況が現実化するということだ』
というような意味です。
【期待感を込めた結果を「~」で表現している】と言っても良いかもしれません。
ただ、決して丁寧な言い方ではありません。
自分の目標になかなか辿り着けない人が、酒に酔っている時などに不満の裏返しとして良く使うような表現です。
「今は苦労しているけれど、一生懸命働いてお金を貯めて、美人と結婚して、将来は世界一の大富豪、とくらあ。」
などと言う具合に使います。
自分を鼓舞する言い方ということもできるでしょう。
http://dictionary.goo.ne.jp/search.php?MT=%CD%E8%A4%EB&kind=jn&mode=0&base=1&row=2
ただこれだと常に「来た」という形でばかり使うかのような誤解が生じかねませんが、新明解では「株式の話と来ると、てんで歯が立たない」という例を載せています。さすが新明解。この「来る」です。
「とくらあ」の「と」は自明(まあ念のために新明解の語釈を引けば「ある事物を提示してそれについて述べることを表す」格助詞です)として、「くら」もこれで大意は掴んでいただけたと思う。では尻尾の「あ」は何か?
「とくらあ」をキチンと発音するなら「とくるは」でしょう。「は」は副助詞の「は」、お馴染みのワと発音する奴です。そうならこの後には省略があるはずです。なにが省かれたと言えばそれは「どうか」もしくは「どうだ」もしくは「どうよ」です。問いかけているのです、聞き手に向けて。
今でもたまに銭湯で湯に漬かりながら、歌を歌う人がいます。そういう人が一節唸って、最後に「とくらあ」と言う、それが私にとっては陳腐なまでの典型例です。
どんな心持ちでもってそんなことを云うかと云うと、歌とか詩とか、そういうものに対してまず人は我を忘れて没入しますよね、とりあえず。あるいは逆に既定の表現として強い拘束があり、個人的変更はある程度禁じられて、云わば括弧に入ったようなもので普通の発話とは区別されます。
そういうものを朗々と舌頭に遊ばせて陶酔しようとする、で、それが終わったら我に帰る、周りも見えるようになる、だから、「と来たらどう思いますか、へぼですか、それとも結構いけてましたか」ときちんと云ったらそれこそ変なので、「とくるは」と言いさし、そこから「とくらあ」と崩れるのでしょう。遠慮と照れ隠しがいくぶんか入っている場合も多々あります。が、図々しい人はその限りにあらず。定型表現と云ってもいいでしょう。歌や詩や、あるいは決まりきった慣用句であることを示す標識として働くとも云えるかな。
2.「~、とくらあ」は、
「~と(いう結果が)来るのだ」の野卑な表現です。
『~という状況が現実化するということだ』
というような意味です。
【期待感を込めた結果を「~」で表現している】と言っても良いかもしれません。
ただ、決して丁寧な言い方ではありません。
自分の目標になかなか辿り着けない人が、酒に酔っている時などに不満の裏返しとして良く使うような表現です。
「今は苦労しているけれど、一生懸命働いてお金を貯めて、美人と結婚して、将来は世界一の大富豪、とくらあ。」
などと言う具合に使います。
自分を鼓舞する言い方ということもできるでしょう。
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